平凡な毎日が奇跡であると気づくこと
こんにちは、ジジです
今まで私の日常は、何気なく過ぎて
暮れていくものだと
そう漠然と思っていました
いつものように朝ごはんを食べ
朝番組で今日の天気を知り
傘を持っていくかどうか思案して
時間がくればいつものルーティン
身支度を済ませて勤め先に向かう
仕事場では作業のこと
人間関係のこと色々あって
やれやれ面倒だなぁと嘆息したりしなかったり
やがて時間が来て
せっせと片付けを済ませ着替えて
いそいそと帰りのバスに乗る
帰れば私なりに家事を済ませ
相方と食事を済ませ
今はもう夜も10時になれば眠気に勝てず
そのまま就寝。
こうして過ごす一日は、特に何かが
起こるわけでもなく、ただ平凡で何の
変哲もないように見えるかもしれません。
いえ、私はそれが当たり前
と疑問も持っていませんでした。
しかし、相方が倒れた後
そうした思いは崩壊しました
昨日まで当たり前と思っていたことが
実は当たり前ではないんだと
毎日が平凡という幸運な「奇跡」の
繰り返しで成り立っているのだと
と同時に、相方の存在の大きさも
強く感じました
幸いに相方は命をとりとめ
そして、来週からは職場復帰です
もちろん、今後も相方の体調には
安心せずに注意を払いますけれど
それでもまた、働きに行けること
それは相方が倒れる前と同じように
日々を暮らすことの現れでもあります
ただ、違うのは以前の当たり前の
平凡を平凡とは思わないことでしょう
毎日が奇跡だと思い、平凡と言う幸せを
これまらも少しでも長く続けていくことへの
努力をしていくことが大切だと思っています。
今回、相方が生死を彷徨い
奇跡として生還した後に
平凡が奇跡であることを身をもって知り
だからこそ維持するために努力が必要である
ということを学びました
こうした「当たり前」の日々が実は
奇跡の積み重ねであることに、
改めて気づくことが大切ではないでしょうか。
今後それがどのように私たちに
奇跡として何かを与えてくれるのでしょうか
日常に感謝をすることは、
決して大げさなことではありません。
朝目が覚めること。
健康な体でまた一日を始められることが、
どれだけの幸運であるかを今後はしっかりと
思って暮らしていきたいと思っています。
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