シニアライフ・ジジ60代生活日記ブログ

シニア世代ジジの日々の暮らし

38年掛かりましたが、時を超えてやっと叶ったなのでしょうね

ジジ

こんにちはジジです


これはネットで色々見ていて

ピンと頭の中で留まった言葉について

書いてみました。その言葉は「奇跡」です。


「奇跡」はごく普通の日常に

星屑のように散りばめられているように。


これは随分前にこのブログで違う形で

触れた話ですけどね。


もう、8年前の夏まで話が戻りますが

その時の私は大手工場で契約社員として働いていて

最初はなかった夜勤体制を数年して納期調整のため

導入となり、それまでやったことのない夜勤作業を

する毎日になりました。


当時も思っていましたが、自分はどうも

夜勤と言う勤務が体や精神面では合っていなかったのか

数年するうちに体調不良と、自覚する鬱状態が続くように

なっていました。


その中で介護の果てに入院となった高齢の母を

心配する日々が始まりました。


日曜は休みで、土曜日は都合で出勤と言う環境でも

頑なに土日休日を通しました。それで現場の上長には

嫌味を常に言われ、バワハラを受け続けていました。


それでも休みを変えなかったのは、土曜日は

母の入院先に毎週顔を出すことを決め、

日曜日は相方と過ごすことを大事にしていたからです。

そうした思いが通らないのであれば働く意味なんて

ないと思っていのです。

(その当時は住宅ローンが一番キツイ時期で

 工場を辞めるのにはかなりの覚悟がいりましたけどね。)


金曜日からの作業で夜勤上がりの土曜日はかなり

心身がつらかったのですけど、もし、病院に行かなければ、と

母の寂しそうな顔が浮かんで、バスを2つ乗り換えて行くことも

可能にしていたのです。


そんな毎日の中で、ある深夜に枕元に置いていたスマホに

電話が入りました。母に何か?!と思い見ると

やはり病院からでした。あわてて電話に出ると


母がベッドで突然暴れだして、その後ベッドで

倒れて意識が無くなったと言うものでした。


深夜にタクシーをどうにか拾い病院へ。

到着すると、意識不明の母の横で担当の男性看護師に

突然暴れ出して大変だったと、かなり迷惑そうな表情

で言われました。


こう言う所が万事にあり、母はこの病院をとても嫌っていました。

本当は転院させて上げたかったのですが、

人気の病院(患者に優しい病院)はどこも病床が空いていず、

加えて自分自身が疲労困憊過ぎて、より必至で転院先を

見つけて上げられなかった(これは今も自身の後悔の

心の棘です。)


90を過ぎた母のストレスは相当なものだったようで、

超高齢でのストレスはとても危険です。脳の血管も

切れやすいと、その時実感しました。

心臓疾患で入院したのに、脳梗塞で亡くなるなんて

相当のストレスですよね。


意識を失ってから亡くなるまでの時間でも

現実は通えるのは土曜日しかなくて、

そんな中で亡くなる数日前の土曜日にも意識がない

母の元へ行き、いつも通り母を顔を眺めていると


パッと、そうパッと目を開けたのです。


母は私の方へ顔を向けて

私を見て微笑みました。

それはまだ随分と若く、元気だった頃に

私に向けられていた微笑みと一緒のものです。

うれしいのと、懐かしいのとが入り混じった

感情になりました。


そして、両手を上にあげて指で何かを

私にゆっくりと示した後、また手はベッドに戻って

もう二度と目を覚ますことはありませんでした。


帰りのバスでよくよく考えてもわからない。

その意味がわかったのは母が亡くなった日でした。


母は8月12日に亡くなりました。

あの時母の指は片方で指で1を示し、もう片方では

指で2を示していました。

今月(8月)の12日に逝くからと伝えていたの

でしょうか.......


あの最後の微笑みは、息子へのお別れをもの

だったのでしょうか。


もしかしたら生前は夫婦仲が良く、

高齢になるにつれ「あの人ところへ逝きたい」と

言っていたことが叶った嬉しさの微笑みだったのか。


その思いを38年掛かりましたが、時を超えてやっと

叶ったなのでしょう....ね。