シニアライフ・ジジ60代生活日記ブログ

シニア世代ジジの日々の暮らし

あなたは私の鏡、私はあなたの鏡


こんにちは、ジジです


日頃から人と接していて
人は人の鏡だなぁと
つくづく思います。


こちらが笑いながら話しかければ
相手もそれを受けて笑って反応する。


こちらが怪訝な顔を見せれば
相手も同じ顔で身構えた様子になる。


だから、誰かと接した時に見せる
相手の表情が私の今の状態だと
教えてくれる事が多いと思っています。


また、別な場合もあります。
どうしても互いが相容れないような
相性の悪さの関係。もしくは
私を勝手に見下すような人。


そうした人は自然とこちらに
悪光りしてまぶしいブルーライトを
放ってくるようなタイプの人です。
そんな時は私も相手の鏡ではなく
なります。


そして、どうしても関わっていなくては
ならない時は頭の中で好きな歌でも
歌って時間をやり過ごします。


やがて立ち去る機会になれば
さっさとその場から立ち去ります。


無理なんてしないです。
横にいるだけで不快にしかならない
そんな相手と自分が大人になって
我慢してまで関わらなくて良いと
思っています。これまでそうやって
良いことがあったためしが
ないからです。


不快にする、ただ腹立たしい、
建設的な関係になれない、
そんな相手からは逃げていいし、
関わらなくていい、と
私は思っています。


今現在の職場にもどうしようない
と思う人がいて、その人とたとえば
エレベーターに同乗するタイミング
になった時は乗らずにやり過ごす。


できる限り自分を不快感から
逃すようにしています。


無理に人と関わることをしない。
それも健やかな心でいるために
必要なのだと思います。


そうは言っても生きている限りは
色々なタイプの人間と関わることも
あるかも知れませんね。


それで、何か相手がこちらに
考えなりを押しつてきても
反抗も、怯えもいらないです。


私はそんな時の相手には
こう言うようにしています。


「あなたの考えはわかりました。
 それも一つの考えとして理解します。
 ただ、私は私のことについて
 その考えとは違うのでそっとして 
 おいてくれませんか?」


と、実際に大阪弁でそのような事を
言ったことがありましたが、
相手は苦い顔で去っていきました。


まぁ、だいたいはそんな会話も
しないで済むように接点を持たない
ようにしているのが現状ですけど(苦笑)

書いて整える


こんにちは、ジジです


これまでにも2回ほどあったんです
けど、と言うのも、清掃作業の中で
シャワー室の清掃は人は誰もおらず
私だけが黙々と作業できることもあり、
それで作業しながら、いつの間か
自分の考えや思いに浸る時間に
なっていきます。それで今回も
こんなことを考えていました。


こうして日記を書いている、
ブログを今日も続けている。
それは何故って自らに問う。


では、書くとどうなるのか、
自分が何をどう思っているかを
少しわかるようになる。


頭の中でだけあれこれ考える、
それだけだと結局考えがまとまらない
ことだってある。


書いてみて、文章にしてみて
文章を整えてみて、
やっと自分の考えが垣間見えて
わかりやすくなることもある。


頭から心へ考えを運ぶよりも
頭から一度文字を並べて文章にしてみて、
それでああ自分はそう言うことなんだ、と
知って、やっと心へ運べることもある
と、書いていて、


近頃思うことがあるのです。


一番やっていることは、
理由がはっきりしない不安、
のようなものについて。
自分は何をそんなに漠然と
不安の中にいるのだろうと思う。


それでそれを一度不安に思うだろう
いくつかのことを書き並べてみる。
書き並べることで、ああ、これだ
これが今の不安の中心になっていることだ
と、心が納得する時があります。
それに合わせて別の小さな不安が
中心となっている不安にくっついていて
不安な気持を煽るようなことに
なってしまう。


だから、今は頭の中にあるモヤモヤを
文章にして具体化させて、心に
不安はこれだと得心させる。
それで不安の具体的理由はすぐに
解決しなくても、心は納得をして
不安でいられる。その不安は具体的
解決をすればとりあえず収まりを
手にすることができる。


書くことはきっと自分の心を
整えるための作業なのかも知れません。


頭の中だで考えていると、その
考え事は感情に持っていかれかねない。
でも、一度書き出すことで
客観性が生まれて、思いを
整理整頓できるように思うのです。


だから、これからも”書く”ことを
続けようと思うわけです。


とまぁ、こんな事を考えて
いました。それで、あっこれを
ブログに書こうと思った次第です。
すんません、また独り言日記でした。

デトックスをしてみよう


こんにちは、ジジです


近頃私は戸惑っています
それはネットによって得られる知識は
実に豊富で恩恵を得ていると言って
いいですが、その情報は
あまりにも過多でもあります。


いらない情報までが垂れ流されていて、
残念ながらそうした物の方が圧倒的に
多いと思っています。なので残念ながら
そうした不要情報の量に圧倒され、
自分に有益なものを見落とし
かねないのが現状です。


近頃の動画系のSNSでは不快な内容の
ものが増えている気もします。
気分が悪くなるものも多いです。
自由だった筈のネット世界は
匿名で自分だけを守り、誹謗中傷を
多発させ、攻撃した相手に何か異変が
あったと知るや自分のアカウントを消して
知らん顔をする。


そんな輩がネットの中にも存在し始めて
息苦しさと不快臭をまき散らせている
と言う現実もあります。そうした存在が
増える、または悪質さが度を超えていけば
ネットはもっと窮屈な世界に成り下がって
しまいかねないと思っています。


分かりやすい例を出せば、街中の
ショッピングセンターに幾つかの場所へ
休憩椅子を設置されていた筈なのが、
素行の宜しくない輩がそこに占拠して
店側の警告も聞かないような有様になり、
椅子を撤収し、たむろできないように
柵をし、物を置くに至る。


それで本来店を利用している客たちが
ほんの少しの休憩をする場所が
失われる、ようなものと同じです。
つまり居心地の良い場所ではなくなると言う
ことです。ほんの一部の者たちのせいで
多くと人が不便を感じるようになる。


そうした事がネットでも起きていると
いうことですし、これからより
そうなっていくように思います。


実際、日本でもSNSを規制する法案が
可決されています。これは、正体を隠し
姑息に人を誹謗中傷し攻撃をして者への
戒めにも感じます。しかし、私としては
それだけでなく、今後国に取って都合の
悪いことを遮るためにもその法案は
改正を重ねていくように感じています。


マイナンバーの義務化への動きは
国民をデータ化しコントロールしようと
する目的ではあることは明らかです。
SNSの規制に対して国レベルで議論
されるようになっているのも個人から
個人を守ると言うことよりも、
国の都合悪い情報は規制するために
やっていこうとしているように
思えてなりません。


全体では少数のやっかいな連中が
何か起こすことは国とっては
好都合を与えて、やっかいな連中を
利用してよりネット社会の自由性を
締め付けようとしているのではないかと
個人的には思っています。


本当は国としては隣国のように
都合の良いことだけを国で流し
不都合なことは規制で壁を作りたい
のでしょうね。


今の時代は様々価値観が現れて
外向きには多様性の時代とは
行っていますが、実はできうるなら
日本という国も右向け右というような
同じ方向に向けさせるのが国として
理想に思っているのではないでしょうか。


と、ネット世界について書いていて
話が飛躍してしまったかも知れませんね。


昔、私がパソコンとネットを始めた頃は
まだダイアルアップ接続というネットを
するとお金がかかる時代でしたが、
今より全然自由度があったように思います。
誹謗中傷よりも助け合いみたいなイメージも
ありました。テクニカルなことでも
アプリやプラグインなども無料でネットで
提供してくれていましたからね。


今はじゃそれも30日間の無料体験という
形になり結果的にはお金がかかります。
動画でもなんでもコンテンツはうるさい
くらいに広告が出て見るのにうんざり
することも多くなりました。


テレビよりもネットでの広告の方が
効果があると各企業も理解しての
増加ではあります。それだけネットが
成長し、とてつもない巨大媒体になった
ということの証明でもあるのですけれど。


ただ、これまではネットからいくらでも
情報を得ることがされて来ましたが、
これからは情報を自身で吟味し、必要
不必要の線引きと言う自身での
基準を持って利用した方がいい。
そう、強く思っている次第です。