シニアライフ・ジジ60代生活日記ブログ

シニア世代ジジの日々の暮らし

叔母ちゃんごめん、あの時私も限界だったんだ


こんにちはジジです

前回、人生の最終回が来た時の
準備はしているのだろうか、と
書きましたが、

母がまだ生前の時
母が超高齢の体で手押し来るまで
家を出て電車に乗り、一人暮らしする
実妹の所へ出向いたのです。
母が虫の知らせを感じて実妹私にとっては
叔母に会いに行ったのです。

チャイムを鳴らしても反応がないので
母は鍵を持っているため中に入ったのです。

すると、叔母は夜に布団に入ったまま
心不全で亡くなっていました。
90過ぎた姉が90過ぎた妹との死を
そうした形で知ったのです。

その後は母は耳が高齢で聞こえず、
近所の方に頼み、その方から
私に連絡がきました。

あとはもうバタバタでした。
当時の私は工場勤めで夜勤をしていました。
母の介護の事もあり、日々クタクタで
正直参りました。

叔母は生涯独身で長く一人暮らし、
蓄えもなく、細々と生活をしていました。

なので母の貯金と、別の叔母などで
費用を捻出し、葬儀と家の始末など
諸々を私がしました。

葬儀は超高齢で発見者の母は
精神的ダメージもあり家から出れず
別の叔母はかなり遠方に住み、
自宅介護を受ける身で動けませんでした。

私は私で仕事を休めず、加えて
心身共にかなりの疲労困憊で
葬儀社で出席者なしでの葬儀と
斎場行きをお願いしました。

叔母には申し訳なかったですが
それが自分に精一杯の事でした。

それから翌年、母が他界し
叔母で経験した事が母の時に
役立って助かりましたが
複雑な気持ちでもありました。

母が他界し、諸々の事を処理し
やっと落ち着いてきた頃に
思ったことがありました。

私たち夫婦は子供がいません。
親しい親戚もいません。

ですから、どちらかが先に
逝ったとき残った方はどうすれば
良いか、と言う事

また、残った方が亡くなる時
もはや頼める人がいない、
それはどうすれば良いのか
と言う問題をどう解決するかを
生きている間に考えないと
いけないと思ったのです。

すいません、長くなるので
続きは次回に。