休日の街中を楽しむ若者たちが眩しく感じます
こんにちはジジです
買い物で近くの街中に行くと
若い人たちが楽し気に休日を楽しんでいる
のを見ていると、若い世代がまぶしく見えてきます。
きっと輝かしい世代には到底理解もできないなと
確かに昔向こう側に居たことがある自分には
容易にわかることだなと思います。
シニア世代の扉を開き人生のラストステージを
歩く中でつくづく思うのは一つの戦いが日々続くこと。
それは無気力との戦いです。
すべては無気力との戦いの向こうに明日が
あるように思えます。
たとえば、電車に乗って都心へ出ようとする
気持ちを抑え込む無気力。
何か些細なことでも新しいことを始めようと
する時に、止しなよ今さらその歳で、と
無気力が心を抑え込み後ろへの引き戻す(苦笑)
こちら側の世代に向かう中で予感がありました。
母が80代、そして90代へと向かう中で
あれだけ活発で、やりたいことを精一杯やって
生活を楽しんでいた人がそうして老いていく中
だんだんと気力が消えていき、ある時に
一瞬で気力が底をつき、外出は病院とスーパーの
必要最小限で家にずっと家に居た切りに
なってしまいました。
もちろん高齢で足が痛むなどの理由も
ありましたが、見る限り気持ちの問題が
とても大きかったように思います。
私はそれでも好きそうな本を買って
手渡したり、以前にやっていた編み物の
編み物セットを買って渡したり、
近くでの喫茶を探してお茶に誘ったり。
それでも母は首に縦にせず、テレビを
つけずにただ椅子に座ってじっとして
いました。
意欲が底を突き、擦り切れている姿が
どれほど心配だったか。
けれど、その当時は夜勤もあり、残業も多い
工場での肉体労働で60代へ向かう自分の体
毎日ヘトヘトで疲労しきっていて、心も
擦り切れていて気持ちの余裕もありませんでした。
だからと言って、もっと何かできなかったと言う
後悔は、そう、時折フラッシュバックとして
私の意識を包みこみます。
そんな思うように母に何もできなかった
親不孝息子ですから、自分の気力の衰退を
どうすることもできないのかも知れません。
それでも相方のこれからの人生の時間を
少しでも色づくような時をできる限り
多くあるようにと微力ながらも
ささやかにいつも思っています。

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