シニアライフ・ジジ60代生活日記ブログ

シニア世代ジジの日々の暮らし

誰かがワルツを誘ってくれるのを待っていたのかも知れません


こんにちは、ジジです。


昨日テレビのニュースを見ていたら
滋賀県中学校でクラス分けに配慮が足りなかったと、
クラス分けのやり直しをしたというものが
報道されていました。これはイジメなどが関連して
イジメる側とイジメられる側の関係があり、
それが次のクラス分けでもその二人が同じクラスになる、
と言ったことに対しての配慮と言うことのようですね。


昭和の私には、何とも言えないところですが、
ただ、それで元気に暮らせるのなら、それはそれで
良いと思うのです。それ以上は口にすることでも
ありませんものね。


私は子供の頃に二度イジメにあったことがあります。
と言っても原因が自分にあるんですけど(笑)
一つは小学生6年の時です。同級生の女の子が
他のクラスメートから臭い、汚いなどと暴言を
言われイジメられていました。理由はその子の家が
貧乏で身に付けているものが、他より少し貧しかった
事などが原因だったと思います。それで私がやったことは
ホームルームの時間にその事実を告発したことでした。


それで先生はどうしたかというと、
「イジメは良くない、やめておきましょう」で
終わりました。それだけです。
お陰でその子は無視はされましたが、言葉の
暴力がなくなりました。その変わりに私が
あれやこれやとされました。物のよく隠されたり
汚されたり、、当然無視されたりと言うのが
なんと私対クラス皆の構図でやられました。
イジメられていた子はただただ黙って隅っこで
目立たないようにしていましたね。別に
ありがとう、なんて言葉はありませんでした。
きっと自分がいじめの対象から外されてホッと
していただけかも知れません。


それともう一つは中学2年の時です。この時は
クラスの悪グループが担任教師にある事で注意された事を
根にもって、クラス全員に担当教師の歴史の授業を
ボイコットしようぜ、と呼びかけて強制的に
そのような形になりました。私はその先生の歴史の
授業はわかりやすくて好きでしたし、そのボイコット
についてもナンセンスと思っていました。そして授業が
始まり先生がいくら皆に呼びかけても無視、横と
おしゃべりと言ったような態度を授業が終わるまで皆は
続けました。


途中、私はそれが腹立たしくなってきて、一人で手を上げ
先生に質問するやら、質問されたら手を上げて
答えるとやらを続けました。当然、授業のあとに
不良グループにボロクソにやられましたね。(苦笑)
皆から無視を続けられました。きっと不良グループ
が怖かったのでしょうし、私も仕方ないと
心の中で納得、いや諦めていました。
ただ、二つの出来事は学期が変わると自然に
なくなり通常に戻りました。


その時に思ったものです、子供ながらに。正しいことを
やっていてもそれを皆が賛同するわけではないと。
その正しいと思う行動が正しいと思われるかどうかは
皆が周りを見て過半数の同調があった場合だけ正義と
なるんだと身をもって知りました。


それからの私は何か自分が行動を起こす時は
他者に期待せず、自分の意思の自己責任で
いこうと決めました。その考えは今日まで
変わっていません。


当時、この二つの行動に際して、
周りに協力を求めませんでした。
どう協力してもらうために言葉にすれば良いか
わからなかったからです。だから、
それを行動することで、誰かが賛同して
自分から協力してくれるかも知れないと
都合の良いことを思っていたのですね。
あさはかですね。🤭


ただ、それ以降、何か事をする時は
自分の覚悟で、自己責任にやれば良いんだと
思うことで気は楽になったんですけどね。


ただ、


「優しいものは とても怖いから
 泣いてしまう 貴方は優しいから
 誰にも傷が付かないようにと
 ひとりでなんて踊らないで
 どうか私とワルツを」


当時にこんなことを言ってくれる人がいたら、
こんな頑なヘンコな人間にならなかったかも
知れないと、思ったりします。


※この歌詞は鬼束ちひろさんの
「私とワルツを」と言う歌のものです。

鬼束ちひろ - 私とワルツを